明治時代に活躍した小説家、二葉亭四迷の筆名の由来はご存知でしょうか?
当時の世間では、文学は軟弱者の仕事と思われていたため、父親から「くたばってしめえ!」と怒鳴られたことが「二葉亭四迷」という筆名の由来になりました……
というのは有名なエピソードではありますが、実は、これは巷間の流説であり、二葉亭四迷自身が『予が半生の懺悔』という回想録の中で否定しています。
剰え、最初は自分の名では出版さえ出来ずに、坪内さんの名を借りて、漸と本屋を納得させるような有様であったから、是れ取りも直さず、利のために坪内さんをして心にもない不正な事を為せるんだ。即ち私が利用するも同然である。のみならず、読者に対してはどうかと云うに、これまた相済まぬ訳である……所謂羊頭を掲げて狗肉を売るに類する所業、厳しくいえば詐欺である。
之は甚い進退維谷だ。実際的と理想的との衝突だ。で、そのジレンマを頭で解く事は出来ぬが、併し一方生活上の必要は益迫って来るので、よんどころなくも『浮雲』を作えて金を取らなきゃならんこととなった。で、自分の理想からいえば、不埒な不埒な人間となって、銭を取りは取ったが、どうも自分ながら情ない、愛想の尽きた下らない人間だと熟々自覚する。そこで苦悶の極、自ら放った声が、くたばって仕舞え(二葉亭四迷)!
世間では、私の号に就ていろんな臆説を伝えているが、実際は今云った通りなんだ。
二葉亭四迷は、坪内逍遥の名前を借りて『浮雲』を出版したため、自分が情けなくなり、自分自身に対して、「くたばってしめえ!」と言い放ったわけですね。
『予が半生の懺悔』では、二葉亭四迷がロシア語を勉強をするために東京外国語学校(現東京外国語大学)に入学した理由、文学の道を志した動機、登場人物のモデルについて、文体の変遷、影響を受けた外国の作家などが語られています。
『浮雲』を読んでから、『予が半生の懺悔』を読んでみたら、「ああ、なるほどな」と思うことがけっこうありました。
『予が半生の懺悔』は、400字詰原稿用紙20枚程度の作品です。
興味のある方はぜひ読んでみてください。