『連環記』は明治時代の小説家・幸田露伴の小説。平安時代の高僧たちの事跡を環状に配列しながら描写した作品。一九四〇年(昭和十五年)『日本評論』に発表。
本記事では『連環記』の登場人物、あらすじ、レビューを掲載しています。
登場人物
- 慶滋保胤
法名は「寂心」。慈悲深い性格。世間では「内記の聖」と呼ばれている。著書に『池亭記』『日本往生極楽記』等。 - 源信
尊称は「恵心僧都」。著書に『往生要集』『一乗要決』等。 - 増賀
橘恒平の子。名誉・名声から逃れるために奇行を繰り返した。 - 大江定基
三河守。法名は「寂照」。力寿に惑溺する。 - 力寿
赤坂の駅館の娘。大江定基に愛される。 - 大江定基の妻
夫の不貞に怒りを燃やしている。 - 大江匡衡
大江維時の嫡孫。大江定基の従兄弟。 - 赤染右衛門
大江匡衡の妻。才気煥発の女性。 - 丁謂
宋の政治家。寂照を宋に引き留める。
物語の構造
- 慶滋保胤の家系
- 慶滋保胤の師・菅原文時
- 慶滋保胤の道心
- 慶滋保胤の文人品評「紀斉名」「大江以言」「大江匡衡」「慶滋保胤」
- 慶滋保胤の慈悲心①「牛」
- 慶滋保胤の慈悲心②「石帯」
- 慶滋保胤の住居『池亭記』
- 慶滋保胤の『日本往生極楽記』
- 源順の死、慶滋保胤の出家
- 寂心(慶滋保胤)の諸国遍歴
- 寂心と源信「水観」
- 増賀の経歴
- 増賀の奇行譚「師・慈慧の僧正任命、増賀の抗議」「法会」「麁言」
- 増賀と寂心「摩訶止観伝授」
- 寂心と播磨の国の陰陽師
- 三河守・大江定基の家系
- 赤坂の駅館の娘・力寿
- 大江定基の妻の性質
- 大江定基の従兄弟・大江匡衡
- 大江匡衡の妻・赤染右衛門の経歴「赤染時用と平兼盛」「藤原道長の妻・倫子」「子・大江挙周の出世」「藤原公任の依頼」「大江匡衡の浮気」
- 赤染右衛門、大江定基に説教する
- 大江匡衡と大江定基の論戦
- 大江定基と妻の離縁
- 力寿の死「接吻」
- 大江定基の厭世「生贄の猪」「献上品の雉」
- 大江定基の出奔「鏡を売りに来た女」
- 大江定基の出家
- 寂照(大江定基)の師・恵心(源信)
- 寂照の次第乞食「元妻と再会」
- 寂心の入滅
- 寂照の渡宋
- 増賀の入滅「碁盤」「胡蝶舞」
- 寂照と知礼
- 寂照と丁謂
- 丁謂の経歴
- 丁謂の説得「寂照、呉門寺に留まる」
- 寂照の入滅
幸田露伴の歴史空間
大学受験において、日本史は「暗記科目」と捉えられている。教師は「単純に暗記してはいけません。因果関係を理解してから暗記してくださいね」と教えていたけれども、結局のところ、最終的には暗記をしなければならないのだ。当然、受験勉強は苦痛の作業になる。
しかしながら、意外なことに、大学入学後に歴史小説を読んでみたら、滅茶苦茶におもしろい。単純に暗記していた歴史的事件・人物たちが有機的に繋がり、退屈な「日本史」は時間的な縦軸だけではなく空間的な横軸を獲得していた。確かに、歴史空間の中に登場人物たちが生きているのだ。
それでは、歴史小説と歴史参考書は何が違うのか?
幸田露伴の『連環記』では平安時代の高僧たちの事績を紹介している。
まず、冒頭では慶滋保胤が改姓した理由が語られる。
慶滋保胤は賀茂忠行の第二子として生れた。兄の保憲は累代の家の業を嗣いで、陰陽博士、天文博士となり、賀茂氏の宗として、其系図に輝いている。保胤はこれに譲ったというのでもあるまいが、自分は当時の儒家であり詞雄であった菅原文時の弟子となって文章生となり、姓の文字を改めて、慶滋とした。慶滋という姓があったのでも無く、古い書に伝えてあるように他家の養子となって慶滋となったのでも無く、兄に遜るような意から、賀茂の賀の字に換えるに慶の字を以てし、茂の字に換えるに滋の字を以てしたのみで、異字同義、慶滋はもとより賀茂なのである。よししげの保胤などと読む者の生じたのも自然の勢ではあるが(後略)
出典:青空文庫『連環記』幸田露伴
なるほど。不可解に感じていたけれども、慶滋保胤は「兄に遜るような意から、賀茂の賀の字に換えるに慶の字を以てし、茂の字に換えるに滋の字を以てした」ということか。ただし「兄に遜るような意」の根拠は調べてみなければわからない。しかし、いずれにせよ、『連環記』は幸田露伴の想像力が働いているからおもしろいのだ。「…であったろう」「…というのでもあるまいが」「…かもしれない」が創造した幸田露伴の歴史空間である。
さらに、慶滋保胤の道心、慈悲深い性格が語られ、慶滋保胤という実際に生きていたひとりの人間を感じることができる。そして、慶滋保胤の出家、諸国遍歴から、増賀の奇行に移り、大江定基と力寿、それから、従兄弟の大江匡衡・赤染右衛門夫婦、寂照(大江定基)の渡宋、環を連ねていくように、物語は語られる。読者は自然に「連環」に巻き込まれ、幸田露伴の創造した歴史的な時間・空間に沈潜しているのだ。
『連環記』が歴史のエピソードを順次に配列した小説であるにもかかわらず、歴史参考書のように退屈には感じられない理由はそういうところだろう。個々の挿話の連なりが結果的に、全体的な歴史空間を形成している。物語の構造が秀逸な歴史小説の傑作である。