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『嘔吐』サルトル あらすじ&感想

セイヨウトチノキ(マロニエ) 外国文学

嘔吐』(原題:La Nausée)は、フランスのジャン=ポール・サルトルの小説。実存主義の哲学が表現されており、哲学書『存在と無』(原題:L’Etre et le néant)と共に有名な作品。

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概要・あらすじ

嘔吐』は日記体小説である。正確な日記の書き出しは1932年1月29日月曜日。冒頭の「日づけのない紙片」は、1932年1月初旬頃に書かれたものである。舞台はフランスの港湾都市ブーヴィル(モデルはル・アーヴル)。歴史学者アントワーヌ・ロカンタンは長期間の研究旅行からブーヴィルに帰ってきた。土曜日、子供たちが水切りをして遊んでいる。ロカンタンは真似をして小石を拾う。その瞬間、ロカンタンの中に何かが起こった。以来、<事物>の意味が剥がれていき、ロカンタンは<嘔気>に悩まされる。

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サルトルの哲学思想のエッセンス

創作理論の文脈において「作品は批評に先立つ」ということを、しばしば、私は口にする。つまり、作品が先に存在して批評は後から加えられるものだということだ。あたりまえのことだが、アマチュアの創作作品には批評がまず頭の中に存在して、それから作品が拵えられているものが多い。始末の悪いことには自分で自分の作品にナントカ理論を持ち出して得意気な顔で注釈を加える、というようなこともある。嘆かわしいことである。

しかし、サルトルの『嘔吐』は理論を念頭にして読むことができる。しかも、文学的傑作である。そもそも、サルトルが『嘔吐』の意図は「形而上的真理と感情とを、文学的形態の下に表明すること」であると述べている。つまり、『嘔吐』はサルトルの哲学思想のエッセンスを文学的形態で表現することを目的にしている作品なのだ。だから、理論的な読解が許されることになる。

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嘔気

<嘔気>とは、何か。先に述べたように、通常の小説であるならば、図式的な解釈を求めることは無粋かもしれない。しかし、『嘔吐』の場合、哲学を小説の形態で表現したものであるから、そもそも、作者自身が次のように述べている。「<嘔気>とは、ヴェールをとりのぞかれた<存在>」である。繰り返すがサルトルが『存在と無』で形成した思想の文学的形態が『嘔吐』である。詳細は素人の文章を読むより実際に『存在と無』を読んでいただきたい。

音楽

アントワーヌ・ロカンタンは、<鉄道員さんの店>で<いつか近いうちに>のレコードを聴いている間、<嘔気>から逃れることができる。

「いま演奏されているのはジャズである。ここにはメロディがなく、音そのものの連続であり、無数の小さい振動の反復である。その振動は休むことを知らない。それを出現させそして滅ぼす頑固なひとつの秩序があって、勝手に再び現れたり居座ったりする暇を与えない。振動は流れ、押し合い、通り過ぎながら乾いた音で私を撃ち、消えて行く。私はそれを止めたいと思う。しかし私は知っている。よしんば私が一振動をとらえることができたにしても、私の指の間に、ろくでもない、力の衰えた一つの音しかもはや残らないだろうということを。だからそれらのものが滅びて行くのを、承認しなければならない。その死を<欲し>さえもしなければならない。私はこれほど痛烈でこれほど力強い感銘をあまり体験したことがない」

おそらく、重要なことは音楽の不可逆性、時間の不可逆性である。ロカンタンは時間の不可逆性の中に自由の可能性を見出している。

サルトル哲学に興味があるなら、評論の前に『嘔吐』を読んでみてもいいかもしれない。


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