反自然主義の立場から「余裕派」の作家として出発した夏目漱石(1867年 – 1916年)は明治後半から大正初期に活躍しました。
留学先のロンドンから帰国後、文芸雑誌「ホトトギス」に『吾輩は猫である』を執筆、さらに『坊っちゃん』『草枕』を次々に発表し、朝日新聞に入社後は新聞小説として『夢十夜』、前期三部作『三四郎』『それから』『門』、「修善寺の大患」を経て、後期三部作『彼岸過迄』『行人』『こころ』を発表しました。
常に人間のエゴイズムを追究した作品を書いていた夏目漱石は、晩年には「則天去私」の境地に至り、『明暗』の執筆に取りかかりましたが未完に終わりました。他に講演『現代日本の開化』『私の個人主義』など。
本記事では夏目漱石のおすすめの作品を14点紹介しています。
『吾輩は猫である』(1905年)
「吾輩は猫である。名前はまだ無い」
中学教師の苦沙弥先生の書斎を訪れる個性的な明治の知識人たちを一匹の猫の視点から描写した長編小説です。古今東西の文学の知識を持ち合わせた一匹の猫が、威厳にあふれる漢文体で人間たちを批評していきます。ユーモラスな批判精神に貫かれた風刺文学の傑作です。
『坊っちゃん』(1906年)
「親譲りの無鉄砲で子供の時から損ばかりしている。小学校に居る時分学校の二階から飛び降りて一週間程腰を抜かした事がある」
松山の中学に数学教師として赴任した直情径行の青年「坊っちゃん」が俗悪な教師たちを相手に大暴れ。同僚の「山嵐」、悪の教頭「赤シャツ」、腰巾着の美術教師「野だいこ」、消極的な性格の英語教師「うらなり」、個性的なキャラクターが次々に登場します。江戸っ子気質のリズミカルな語りが用いられた痛快な中編小説です。夏目漱石が松山中学に英語教師として赴任したときの体験から書き上げられました。
『草枕』(1906年)
「山路を登りながら、こう考えた。智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。兎角に人の世は住みにくい」
「非人情」の境地に憧れる青年画家は山奥の温泉場で才気溢れる女性「那美」に出会います。山奥の桃源郷を舞台に絵画的感覚美の世界を描いた「余裕派」の作品です。
『二百十日』『野分』(1906年、1907年)
『二百十日』は阿蘇を旅行する「豆腐屋主義」の圭さんと同行者の碌さんの会話文を主軸にした中編小説です。圭さんは慷慨家です。金持ちが嫌いです。「ともかくも、ともかくも……」といってずんずんと進んでいきます。碌さんは圭さんについていきます。金権主義を痛烈に批判しながら、二人の会話から熱い友情が伝わってきて、心がじーんとする読後感の作品です。
『野分』は理想主義的のために教職を追われ、東京で文筆家として活動する白井道也と大学の同窓生である高柳周作・中野輝一の三者三様の思想を描いた中編小説です。『二百十日』とともに夏目漱石の転換期の作品になります。
『虞美人草』(1907年)
「『随分遠いね。元来何所から登るのだ』と一人が手巾で額を拭きながら立ち留った」
『虞美人草』は傲慢な女性藤尾の運命を描いた長編小説です。前途有望の青年小野の心は藤尾と恩師の娘小夜子との間で揺れ動きます。最終的に小野の下した決断がある「悲劇」を引き起こしますが……。
『虞美人草』の勧善懲悪は現代の読者には奇妙に思われるかもしれませんが、夏目漱石の他の作品と比較したときに考えさせられるところがあります。
『坑夫』(1908年)
「さっきから松原を通ってるんだが、松原と云うものは絵で見たよりも余っ程長いもんだ」
恋愛事件のために家を出奔した青年は「自滅」を求めて、周旋屋に誘われるままに銅山に向かいます。飯場の粗暴な坑夫たちに威嚇されながら、嘲弄されながら、青年は地獄で坑夫として生きていくことを決意しますが……。
夏目漱石のもとを訪れた青年の体験を素材にした異色作です。
『三四郎』(1908年)前期三部作
「うとうととして目が覚めると女は何時の間にか、隣の爺さんと話を始めている。この爺さんはたしかに前の前の駅から乗った田舎者である」
熊本の高等学校を卒業した小川三四郎は大学進学のために東京に向かいます。同郷の先輩野々宮、友達の佐々木、「偉大なる暗闇」の広田先生、そして自由気儘な都会の女性美禰子、さまざまなひとたちに出会いながら三四郎は勉学に励みます。三四郎の不安、戸惑い、純真な青年の内面を描きながら同時に社会批評が織り込まれている青春小説です。
『それから』(1909年)前期三部作
「誰か慌ただしく門前を馳けて行く足音がした時、代助の頭の中には、大きな俎下駄が空から、ぶら下っていた」
高等遊民の長井代助は三十歳になりながらも定職に就かず、父親からの援助で暮らしています。代助は過去に愛し合いながらも親友に譲った人妻の三千代に再会して、運命が狂い始めます。結末部は日本文学の世界では有名な名場面になっています。夏目漱石流の姦通小説です。
『門』(1910年)前期三部作
「宗助は先刻から縁側へ坐蒲団を持ち出して、日当りの好さそうな所へ気楽に胡坐をかいてみたが、やがて手に持っている雑誌を放り出すと共に、ごろりと横になった」
親友の安井を裏切り、安井の妻御米と結婚した野中宗助は、罪悪感に苛まれながらひっそりと生活しています。ある日、宗助のもとに安井の消息が届き、心を乱された宗助は鎌倉に参禅に向かいます。夫婦生活を淡々とした筆致で描写した作品になっています。
『彼岸過迄』(1912年)後期三部作
「敬太郎はそれ程験の見えないこの間からの運動と奔走に少し厭気が注して来た」
『彼岸過迄』は内向的な性格の須永と行動的な女性千代子の恋愛を主軸にした長編小説です。各章が独立した短編小説になっていて、視点と文体が変化していきます。「修善寺の大患」を経験した後の作品であり、再出発した夏目漱石の「自我」との苦闘はここから始まります。
『行人』(1912年)後期三部作
「梅田の停車場を下りるや否や自分は母から云い付けられた通り、すぐ俥を雇って岡田の家に馳けさせた」
学者の長野一郎は学問だけを生きがいにしていて、妻に理解されないばかりではなく両親と親族からも敬遠されています。一郎は妻を愛していながら妻を理解することができず、弟の二郎に妻と一緒に外泊をさせることによって、妻の節操を試しますが……。近代知識人の苦悩がもたらした狂気を描写した作品です。
『こころ』(1914年)後期三部作
「私はその人を常に先生と呼んでいた。だからここでもただ先生と書くだけで本名は打ち明けない」
学生時代、夏休みに鎌倉の海水浴場で「私」は「先生」と懇意になります。東京に帰ってからも私は先生の家を訪れるようになり、先生の奥さんとも親しくなります。定職に就かず遺産で暮らしている先生は墓参りに通っていたため、私は先生に過去を教えてほしいと頼みますが……。
『こころ』は一部が教科書に掲載されている中編小説ですね。上「先生と私」、中「両親と私」、下「先生と遺書」の三編から構成されています。
『道草』(1915年)
「健三が遠い所から帰って来て駒込の奥に世帯を持ったのは東京を出てから何年目になるだろう」
海外留学から帰ってきた健三は大学教師になり、長い時間をかけて一大著作に取りかかります。しかし、過去に縁を切ったはずの養父島田が現れ、金をせびります。養父の次には姉に兄、事業に失敗した妻お住の父親までが金をせびるために健三にまとわりつきます。金銭問題と人間関係に悩まされる近代知識人の姿を描写した作品です。
『明暗』
「医者は探りを入れた後で、手術台の上から津田を下した」
会社員の津田由雄には勤務先の社長夫人の仲介で結婚したお延という妻がいます。しかし、津田夫妻の仲はぎくしゃくとしています。ある日、昔の恋人であり突然自分を裏切り人妻になっていた清子が温泉場に滞在していることを知った津田は、こっそりと彼女のもとを訪ねることにしましたが……。
晩年、夏目漱石は「則天去私」の境地に至り、『明暗』は「則天去私」を作品化したものと言われていますが、病状悪化により絶筆に終わりました。
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