『独り歌へる』は明治四十三年一月に名古屋の八乙女会から発行された若山牧水の第二歌集。明治四十一年四月から四十二年七月までの作品五百五十一首を収録している。
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『独り歌へる』若山牧水を鑑賞する
以下、『独り歌へる』の鑑賞記録。抜粋した部分は『日本の詩歌4』(中央公論社、1968年)にならいました。古語の意味は『Weblio古語辞典』より引用。
- いざ行かむ行きてまだ見ぬ山を見むこのさびしさに君は耐ふるや
下の句の問いかけにしんみりとする。 - おのづから熟みて木の実も地に落ちぬ恋のきはみにいつか来にけむ
上の句が場面、下の句が心情の基本型。 - うらかなしこがれて逢ひに来しものを驚きもせでひとのほゝゑむ
古語では「ひと」は特定の人間を指す。恋愛の温度差の歌。
うら-:〔多く形容詞や形容詞の語幹に付けて〕心の中で。心から。何となく。「うら悲し」「うら寂し」「うら恋し」
ひと:夫。妻。恋人。あの人。親友。▽特定の人の意味。
以下或る時に
- うちしのび夜滊車の隅にわれ座しぬかたへに添ひてひとのさしぐむ
「うちしのび」から「山の家の」まで「以下或る時に」と注記のある十三首から抜粋。山の宿に恋人と遊ぶ物語的構成の連作。
うちしのぶ:人目を避ける。
さしぐむ:涙がわいてくる。 - 野のおくの夜の停車場を出でしときつとこそ接吻はかはしてしかな
つと:①そのまま。ずっと。じっと。②急に。さっと。
てしかな:〔詠嘆をこめた自己の願望〕…(し)たいものだなあ。 - 摘みてはすて摘みてはすてし野のはなの我等があとにとほく続きぬ
恋人たちが歩いたあとに「摘みてはすてし」花が散っているところに象徴性が感じられる。「摘みてはすて摘みてはすてし」のリフレインが「とほく続きぬ」のイメージに重なる。 - 山はいま遅き桜のちるころをわれら手とりて木の間あゆめり
- 鬢の毛に散りしさくらのかゝるあり木のかげ去らぬゆふぐれのひと
- 木の芽摘みて豆腐の料理君のしぬわびしかりにし山の宿かな
- 春の日の満てる木の間にうち立たすおそろしきまでひとの美し
うち-:〔動詞に付いて、語調を整えたり下の動詞の意味を強めて〕
①ちょっと。ふと。「うち見る」「うち聞く」
②すっかり。「うち絶ゆ」「うち曇る」
③勢いよく。「うち出(い)づ」「うち入る」 - 小鳥よりさらに身かろくうつくしく哀しく春の木の間ゆく君
恋人を小鳥に比較している。「身かろくうつくしく哀しく」の形容詞の連続がリズミカル。 - 静かなる木の間にともに入りしときこゝろしきりに君を憎めり
- 山の家の障子細目にひらきつゝ山見るひとをかなしくぞ見し
- 古寺の木立のなかの離れ家に棲みて夜ごとに君を待ちにき
- 燐枝すりぬ赤き毛虫を焼かむとてたゞ何となくくるしきゆふべ
- ひとりなればこのもちつきの夏の夜のすずしきよひをいざひとり寝む
もちづき:満月。陰暦の十五日の夜の月。[季語] 秋。
八月の初め信州軽井沢に遊びぬ、その頃詠める歌
- 火を噴けば浅間の山は樹を生まず茫として立つ青天地に
「火を噴けば」から「さらばなり」まで「八月の初め信州軽井沢に遊びぬ、その頃詠める歌」と注記あり。明治四十一年、早稲田大学卒業後、若山牧水は土岐善麿と一緒に軽井沢を旅行した。さらに、ひとりになってから、碓氷峠を越えて妙義山を眺めて帰京した。 - 火の山にしばし煙の断えにけりいのち死ぬべくひとのこひしき
上の句が場面、下の句が心情の基本型。 - 黒髪のそのひとすぢのこひしさの胸にながれて尽きむともせず
- 青草のなかにまじりて月見草ひともと咲くをあはれみて摘む
随筆「秋草の原」(大正九年)において、作者は軽井沢の植物の美しさを讃えている。 - あめつちにわが跫音のみ満ちわたる夕さまよひに月見草摘む
「八月の中旬とはいえ、その高原ではまるでもう秋で、いたるところに秋草の花が咲き乱れていた。ほんとに、ここのような花のおおい高原をば両人とも今までに見たことがなかった。(略)山の窪の平地には月見草が主で、そのほか薄、苅萱、女郎花、藤袴、葛、露草、吾亦紅など、普通いう秋草のたぐいが多く、すこし山地に登ってゆけば鈴蘭や釣鐘草など咲いていた」(「秋草の原」) - わかれては十日ありえずあわたゞしまた碓氷越え君見むと行く
恋人に会いたいから旅路を急いでいる。下の句の「ニ・三・ニ/ニ・三・ニ」のリズムが本当に碓氷峠を歩いているみたいだ。 - さらばなり信濃の国のほとゝぎす碓氷越えなばまた聞かめやも
瀬戸の海にて
- いと遠く君がうまれし国の山ながめてわれは帆柱に凭る
「瀬戸の海にて」と注記あり。
故郷にて
- 父の髪母の髪みな白み来ぬ子はまた遠く旅をおもへる
「父の髪」から「一人の」まで「故郷にて」と注記。作者と両親の間の距離感に寂しさが感じられる。 - 一人のわがたらちねの母にさへおのがこゝろの解けずなりぬる
牧水は就職せず、実家に帰り、両親から理解を得られないことに苦しんでいた。うーん、今も昔も変わらないなあ。
日向の海辺にて
- とき折りに淫唄うたふ八月の燃ゆる浜ゆき燃ゆる海見て
「日向の海辺にて」と注記あり。日向は宮崎県北東部。下の句「三・ニ・三/三・ニ・三」のリズムがいい。
- 星くづのみだれしなかにおほどかにわが帆柱のうち揺ぐ見ゆ
おほどかなり:おおらかだ。おっとりしている。 - われうまれて初めてけふぞ冬を知る落葉のこゝろなつかしきかな
- 別るゝ日君もかたらずわれ云はず雪ふる午後の停車場にあり
「別るゝ日」「別れけり」の歌は明治四十二年一月作。牧水は小枝子との恋の清算を決意した。 - 別れけり残るひとりは停車場の群集のなかに口笛をふく
恋人と別れた後に口笛を吹いちゃうんですね。別れ話の直後の奇妙に軽やかな気分。
- 大鳥の空をゆくごとさやりなき恋するひとも斯くや嘆かむ
下巻の冒頭の作。
さやる 【障る】:①触れる。ひっかかる。②差し支える。妨げられる。
「さやり」は「さやる」の連用形が名詞化したもの。 - 男といふ世に大いなるおごそかのほこりに如かむかなしみありや
- 男なれば歳二十五のわかければあるほどのうれひみな来よとおもふ
「男なれば」という感覚はわからないけれども「あるほどのうれひみな来よとおもふ」はすごい。
一月より二月にかけ安房の渚に在りき、その頃の歌。
- 思ひ屈し古ぼろ船に魚買の群れとまじりて房州へ行く
以下、「鳥が」まで「一月より二月にかけ安房の渚に在りき、その頃の歌」と詞書のある連作七十五首から十六首を抜粋。 - 物ありて追はるゝごとく一人の男きたりぬ海のほとりに
- われひとり多く語りてかへり来ぬ月照る松のなかの家より
「人を訪ねて」と注記あり。北条町(現・館山市)に療養中の石井貞子を訪ねたときの歌。 - ともすれば咯くに馴れぬる血なればとこともなげにも言ひたまふかな
「おなじき時に」と注記あり。石井貞子は窪田空穂門下の歌人。作者は富田砕花の紹介で出会い、彼女の人柄に心惹かれていた。 - 藻草焚く青きけむりを透きて見ゆ裸体の海女と暮れゆく海と
- 日は日なりわがさびしさはわがのなり白昼なぎさの砂山に立つ
上の句、断定の「なり」でズバリと斬っているところがいい。自分を「日」と同等に配置しながら、気持ちは負けていない。 - こゝよりは海も見えざる砂山のかげの日向にものをおもひぬ
対象を観察することは作歌の基本だけれども「海も見えざる」場所を素材にしているところがおもしろい。 - 火の山にのぼるけむりにむかひゐてけふもさびしきひねもすなりき
ひねもす(に):朝から晩まで。一日じゅう。終日。 - 少年のゆめのころもはぬがれたりまこと男のかなしみに入る
- 愚かなり阿呆烏の啼くよりもわがかなしみをひとに語るは
- けふ見ればひとがするゆゑわれもせしをかしくもなき恋なりしかな
恋愛が強迫観念になっていることにうんざりしている。後出の「恋といふ」も同じ主題。 - 海に行かばなぐさむべしとひた思ひこがれし海に来は来つれども
- 耳もなく目なく口なく手足無きあやしきものとなりはてにけり
上の句の「耳もなく目なく口なく手足無き」のリズムがいい。今なら障害者団体から抗議の手紙が届くことは間違いない。 - 好かざりし梅の白きをすきそめぬさびしきことのおほき春かな
漁師の家に宿泊していたとき、窓の先の梅の樹を眺めながら「涙ぐましい気持ちになってある日親しい友人のもとに書いた」歌。 - うちよせし浪のかたちの砂の上に残れるあとをゆふべさまよふ
- 鳥が啼く濁れるそらに鳥が啼く別れて船の甲板に在り
「鳥が啼く」のリフレイン。
- 角もなく眼なき数十の黒牛にまじりて行かばやゝなぐさまむ
- 恋といふうるはしき名にみづからを欺くことにやゝつかれ来ぬ
前出の「けふ見れば」を参照。 - あさましき歌のみおほくなりにけりものゝ終りのさびしきなかに
- 安房の国海のなぎさの松かげに病みたまふぞとけふもおもひぬ
「安房の国」「山ざくら」の歌は石井貞子宛書簡に挿入されている。 - 山ざくら咲きそめしとや君が病む安房の海辺の松の木の間に
若山牧水と石井貞子の関係は恋に発展せず、明治四十三年に貞子は牧水の友人の三津木春影と結婚した。
- 憫れまれあはれむといふあさましき恋の終りに近づきしかな
- 逃れゆく女を追へる大たはけわれぞと知りて眼眩むごとし
- 林なる鳥と鳥とのわかれよりいやはかなくも無事なりしかな
- 千度び恋ひ千度びわかれてかの女けだしや泣きしこと無かるらむ
- 山奥にひとり獣の死ぬるよりさびしからずや恋終りゆく
- 斯くばかりくるしきものをなにゆゑに泣きて詫びしを許さゞりけむ
- 冷笑すいのち死ぬごとこゝちよく涙ながしてわれ冷笑す
「冷笑す」のリフレイン。 - 花つみに行くがごとくにいでゆきてやがて涙にぬれてかへり来ぬ
結句の字余りによって、不安感が広がっている。 - おほ河のうへをながるゝうたかたのさびしき人のけふも髪をゆふ
第三句の格助詞の「の」は「~のように」の意。「体言」に接続して、前の語句を、後の「用言」の比喩として提示する。「あしびきの山鳥の尾のしだり尾の長々し夜を独りかも寝む」を参照。 - ふたゝびはかへり来ることあらざらむさなりいかでかまたかへり来む
- 思ひいでゝなみだはじめて頬をつたふ極り知らぬわかれなりしかな
上の句が場面、下の句が心情の基本型。 - あなさびし白昼を酒に酔ひ痴れて皐月大野の麦畑をゆく
皐月:陰暦五月の別名。[季語] 夏。 - 青草によこたはりゐてあめつちにひとりなるものゝ自由をおもふ
- 影のごとくこよひも家を出でにけり戸山が原の夕雲を見に
戸山ヶ原は東京都新宿区に存在した野原。明治四十二年三月、牧水は牛込の若松町から、早稲田鶴巻町の下宿屋八雲館に引っ越した。戸山ヶ原は明治以降、陸軍用地となり、陸軍戸山学校や射撃場・演習場に用いられた。 - あめつちに独り生きたりあめつちに断えみたえずみひとり歌へり
「-み」:〔動詞および助動詞「ず」の連用形に付いて〕…たり…たり。▽「…み…み」の形で、その動作が交互に繰り返される意を表す。
名古屋の雑誌『八乙女』の主幹鷲野芳雄(飛燕)から快諾の返事をもらい、第二歌集『独り歌へる』の出版が決定する。牧水は南多摩郡七生村(現・日野市)の百草山に一ヶ月間籠もり、歌集の編纂をする。
六七月の頃を武蔵多摩川の畔なる百草山に送りぬ
- 啼きそめしひとつにつれてをちこちの山の月夜に梟の啼く
「六七月の頃を」の詞書のある連作は原本四十三首。 - あをばといふ山の鳥啼くはじめ無く終りを知らぬさびしき音なり
「あをば」は青葉梟で夜にホウホウと鳴く。 - わが死にしのちの静けき斯る日にかく頬白鳥の啼きつゞくらむ
- かたはらの木に頬白鳥の啼けるありこゝろ恍たり真昼野を見る
上の句が場面、下の句が心情の基本型。 - 山に来てほのかにおもふたそがれの街にのこせしわが靴の音
「靴の音」を残してきたというところがおもしろい。 - かなしめる獣のごとくさまよひぬ林は深し日は狭青なり
- ゆめみしはいづれも知らぬ人なりき寝ざめさびしく君に涙す
意外にも大切なひとは夢に出てこないんですよね。 - あるときはありのすさみに憎かりき忘られがたくなりし歌かな
古歌「ある時はありのすさびににくかりきなくてぞ人の恋しかりける」を踏まえている。 - 遠くよりさやさや雨のあゆみ来て過ぎゆく夜半を寝ざめてありけり
「さやさや」のイメージがすばらしい。 - 放たれし悲哀のごとく野に走り林にはしる七月のかぜ
「七月のかぜ」を「放たれし悲哀」に喩えているところがおもしろい。「h」の音の連続がリズミカルで風が走っているイメージを伝えている。 - わがこゝろ静かなる時につねに見ゆ死といふものゝなつかしきかな
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