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『雨月物語』上田秋成【あらすじ】【おすすめの現代語訳】【映画】

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雨月物語日本文学

雨月物語うげつものがたり』は江戸時代後期に成立した上田秋成うえだあきなり読本よみほん。「白峰しらみね」「菊花きつかちぎり」「浅茅あさぢ宿やど」「夢応むおう鯉魚りぎよ」「仏法僧ぶつぽふそう」「吉備津きびつかま」「蛇性じやせいいん」「青頭巾あをづきん」「貧福論ひんぷくろん」の怪異小説九編を収録しています。

本記事では『雨月物語』のあらすじおすすめの現代語訳映画化作品の紹介をしています。

あらすじ

白峰

西行白峰しらみね(香川県坂出さかいで市東部・白峰山しらみねさん)を訪れ、旧主・崇徳上皇の墓に参詣する。夜、西行の前に崇徳上皇の亡霊が出現する。崇徳上皇は世を恨む怨霊になっていたため、西行は成仏を勧める。西行と崇徳上皇の議論が始まり、西行は大鷦鷯皇子おおさざきのみこ菟道皇子うじのみこの例を引きながら「王道」を論じ、崇徳上皇は「革命」肯定思想を展開する。突然、風が吹き荒れ、鬼火が燃え上がり、魔王・崇徳上皇の姿があらわになる。西行は崇徳上皇の浅ましい姿を嘆き、歌を献上する。崇徳上皇は穏やかな顔になって、姿を消した。

菊花の約

戦国時代。軍学者の赤穴宗右衛門あかなそうえもんは近江国の佐々木氏綱の館に滞在中、故郷の月山富田城がっさんとだじょう主・塩冶掃部介えんやかもんのすけが尼子経久に敗れたため、故郷に引き返している道中、播磨国加古で病に倒れたところを学者の丈部左門はせべさもんに救われる。赤穴は里で養生しているうちに左門と親しくなり義兄弟の約を結ぶ。

初夏。赤穴は故郷の出雲国に一度帰ることにした。赤穴は九月九日の菊の節句に再会することを約束する。

約束通り、九月九日の菊の節句に赤穴宗右衛門は帰ってきたが、死霊の身になっていた。赤穴は、親戚の赤穴丹治に説得され尼子経久に引き合わせられたが、従うことを拒否したため、尼子経久の命令によって城中に監禁された。監禁されているうちに約束の日になってしまったため、赤穴は自害して、魂になって帰ってきた。赤穴は永遠の別れを告げてから、姿を消した。

翌日、左門は赤穴の遺骨を葬るために出雲に向かう。十日後、富田城に到着した左門は赤穴丹治を斬り殺した。左門は行方をくらましたが、尼子経久は義兄弟の信義に感動して、後を追わせなかった。

浅茅が宿

戦国時代、下総国しもうさのくに葛飾郡かつしかぐん真間郷ままのさと勝四郎は家を再興するために、妻の宮木を故郷に残したまま、商人雀部曽次ささべそうじと上京する。

同年、享徳の乱が発生、関東地方は混乱に陥る。宮木は逃げ出さず、勝四郎の帰郷を待つことにした。

一方、勝四郎は商売を終わらせてから、京を出発したが、要所に関所が置かれていて、通行禁止になっていたため帰ることができない。勝四郎は、故郷は戦火で焼け滅び、妻も死んでしまったに違いないと考え、引き返すことにした。

勝四郎は近江国で病気にかかり、雀部曽次の親戚・児玉嘉兵衛に救われる。土地のひとたちと親密な交際をしているうちに七年の歳月が過ぎた。

寛正二年、勝四郎は宮木の塚を築くために故郷に帰ることにした。十日後の夜に故郷に到着、無事に生き延びていた宮木と再会する。しかし、翌朝目覚めると、家は荒れ果てていて宮木の姿も見えない。勝四郎は呆然として妻がやはり亡くなっていたことを悟る。勝四郎は妻の死の経緯を聞くために漆間うるまおきなの庵に向かう。

宮木は約束の秋を過ぎて翌年の八月十日に亡くなっていた。夜、勝四郎と漆間の翁は塚の前に念仏をして明かした。

夢応の鯉魚

延長年間、近江国三井寺に興義という画僧がいた。特に夢の世界でたくさんの魚たちと遊んだときの光景を描いた「夢応の鯉魚」の絵の評判は世間に伝わっていた。

ある年、興義は病気にかかって七日後に亡くなり、三日後に生き返る。興義は、檀家の平の助の殿の館は酒宴の最中のはずだから、酒宴を中断させ、館のひとたちを呼んできなさい、と使いを遣る。使いの者が館に向かったところ、興義の言葉通りに酒宴の最中だった。

平の助の殿の館の人々は寺を訪れ、興義の話を聞く。

興義は病気に苦しんでいるうちに、自分が死んだことも知らず、湖を泳いでいた。自由に泳いでいる魚を羨んでいたところ、海の神から金色の鯉の服を授かった。鯉に変身した興義は、自由に泳いでいたとき、急に空腹を感じて、釣り糸の餌に食いついてしまい、捕らえられ、助の屋敷まで連れていかれる。料理人に包丁を振り下ろされる瞬間に目が覚めたという。

興義の不思議な話を聞かされた助は、残っていたさしみを海に捨てさせた。後に興義が寿命で亡くなった際に、興義の鯉の絵を湖に散らしたところ、魚が紙から抜け出して泳ぎまわったという。

仏法僧

徳川太平の世。伊勢国の拝志夢然はやしむぜんは末子の作之治と高野山を見物に訪れる。夜、寺院に宿泊を断られたため、霊廟の前の灯籠堂の縁側で野宿をすることになる。「仏法仏法ぶつぱんぶつぱん」と仏法僧の鳴き声が林に響き、夢然は俳諧を口ずさむ。「鳥の音も秘密の山の茂みかな」。

豊臣秀次家臣団の亡霊たちが出現して、夜宴を始める。再び「仏法仏法ぶつぱんぶつぱん」と仏法僧の鳴き声が聞こえ、豊臣秀次は連歌師の里村紹巴に一句を勧める。里村紹巴は、夢然に向かって「先の句を殿下に申し上げよ」と命じる。夢然は恐ろしさに震えながら、句を献上する。

家臣の雀部淡路守ささべあわじのかみが修羅の時刻が近づいていることを告げ、亡霊たちは顔を真赤にして勇み立ち騒ぎ始める。秀次は「あの二人も修羅道につれて参れ」と命じるが、老臣に諌められ、夢然と作之治は難を逃れる。亡霊たちは大空の彼方に消えていった。

吉備津の釜

吉備国きびのくに賀夜郡かやのこおり庭妹にわせ(現在の岡山市北区庭瀬)の井沢正太郎は酒に乱れ、色欲に溺れていた。父親は息子の品行を正すために、吉備津神社の神主・香央造酒かさだみきの娘・磯良いそらとの縁組を進める。

香央家は神事「吉備津の御釜祓い」を行い、結婚の吉凶を占う。吉兆ならば釜は鳴り、凶兆ならば釜は鳴らない。凶兆が現れたが、縁組は進められる。

結婚後、磯良は心を尽くしたにもかかわらず、正太郎は浮気の本性から遊女のに親しむ。正太郎は磯良から金を騙し取り、袖と都の方面に逃げ出す。磯良は恨みのあまりに病気にかかる。

一方、正太郎と袖は、袖の親戚・彦六の家の隣に住むことにした。しかし、袖は七日後に亡くなる。正太郎は毎日夕方に墓参りをして過ごす。

正太郎は、墓参りの最中に出会った女性の家を訪問する。屏風の向うから亡霊磯良が現れ、正太郎は恐ろしさのために気絶する。目覚めたとき、正太郎は荒野の三昧堂にいた。

陰陽師は正太郎に四十二日間の物忌みを命じる。四十二日目の夜に正太郎は亡霊磯良の詐術に欺かれ、何処に連れ去られる。

蛇性の婬

紀伊国三輪崎(現在の和歌山県新宮市三輪崎)の大宅豊雄おおやとよおは雨宿りの最中にあがた真女児まなごと侍女・まろやに傘を貸す。

後日、豊雄は傘を返してもらうために真女児の家を訪れる。真女児は自分の境遇を打明け、豊雄に求婚する。豊雄は承諾し、宝剣を贈られる。

翌日、宝剣が熊野権現の蔵から盗み出された品物であることが判明し、豊雄は逮捕される。豊雄は役人たちに事情を説明して、真女児の家に一緒に向かうことになる。しかし、真女児の家は廃墟になっていた。武士たちが中の様子を窺ったところ、真女児が座っている。捕らえようとしたところ、雷鳴が鳴り響き、真女児の姿は消えていた。熊野権現の蔵から盗まれていた他の品物が残されていたため、妖怪の仕業であることがわかり、豊雄の罪は軽くなる。

百日後に釈放され、豊雄は大和国石榴市つばいちの商人・田辺金忠たなべかねただのところに嫁いだ姉を訪ねて、数ヶ月を過ごすことにした。翌年の二月、豊雄は真女児とまろやに再会する。真女児は事情を説明して、自分が妖怪ではないことを訴える。田辺夫婦は真女児に同情して、豊雄は真女児と結婚することになる。

三月、豊雄夫婦が吉野を旅行しているとき、偶然通りかかった大和神社に仕える当麻酒人たぎまのきびとは真女児とまろやの正体を見破る。真女児とまろやは滝に飛び込み、姿を消す。豊雄は当麻酒人の忠告に従い、心を正しくして、紀伊国に帰ることにした。

豊雄は芝の庄司の娘・富子とみこと結婚する。真女児は富子に憑依して恨みを述べる。近くに宿泊していた鞍馬寺の僧侶に祈祷を依頼したが、真女児の毒に蝕まれ息絶える。次に道成寺の法海和尚がやってきて、真女児とまろやを退治することに成功する。法海和尚は寺に帰り、蛇塚を立て、未来永劫の間、世に出ることを禁じた。後に富子は病気にかかり死んでしまったが、豊雄は無事に生き延びた。

青頭巾

室町時代、快庵かいあん禅師ぜんじは諸国行脚の旅の途中に下野国しもつけのくに富田とみだを訪れる。快庵禅師は宿の主から奇怪な話を聞かされる。この里の山の上の寺院には高徳の阿闍梨あじゃりがいたが、去年の春頃から、越後の国から連れてきた美少年を溺愛して、仏事や修行を怠るようになった。今年の四月に少年は病死した。阿闍梨は発狂して、少年の遺体の肉をしゃぶり、骨をなめ、食べ尽くしてしまった。阿闍梨は食人鬼と化し、里のものたちから恐れられるようになる。快庵禅師は阿闍梨を正気に返らせることにする。

快庵禅師は山の上の寺院に向かう。快庵禅師は阿闍梨を石の上に座らせ、紺染の頭巾を頭にかぶせ、二句の証道歌を授ける。「江月照松風吹こうげつてらしせうふうふく 永夜清宵何所為えいやせいしようなんのしよゐぞ」。句の真意が解けたとき、自然の仏心に返ることになる、と親切に教え、下山した。

翌年の冬、快庵禅師は富田を再訪する。寺の庭の石の上で影が二句の証道歌をぽつりぽつりとつぶやいている。快庵禅師が「作麼生そもさん何所為なんのしよゐぞ」と一喝したところ、影は消え、頭巾と白骨だけが草葉の上に残っていた。寺は清められ、修理され、真言宗から曹洞宗の寺になり、快庵禅師が初代の住職になった。

貧福論

陸奥国の蒲生氏郷家の武士・岡左内おかさないは倹約家で富を蓄えていて、暇なときには座敷に金貨を敷き並べて心を慰めていたが、懐の深いところがあり、立派な武士として知られていた。

ある夜、左内の枕元に翁の姿をした黄金の精霊が現れる。精霊は故事を引きながら、富貴の道を天然自然の理にかなうものとして、清貧主義を批判する。左内は現実世界の貧福の酷薄な運命について、仏教の「前業」論、儒教の「天命」論の是非を問う。精霊は「前業」論の矛盾を指摘して、「前業」と貧福の関連を否定する。次に金銀の「さが」を「非情の物」として、人間道徳と経済原理を明確に区別した合理的な経済思想を展開する。

次に、精霊は「富貴」の観点から戦国武将論を展開する。上杉謙信、武田信玄、織田信長を論じてから、最後に豊臣秀吉政権の終焉および天下泰平の世の到来を予言して、「堯蓂日杲ぎやうめいひにあきらかに 百姓帰家ひやくせいいへによる」の八字の句を残して、夜明けと共に姿を消した。

『雨月物語』おすすめの現代語訳

『雨月物語』を「本文」と「現代語訳」を照らし合わせながら鑑賞する場合、ちくま学芸文庫(高田衛・稲田篤信校注)がおすすめです。「本文」「語釈」「現代語訳」「」から構成されていて、巻末に「解説」「読書の手引き」「索引」を収録しています。

『雨月物語』は江戸時代に成立した近世語の作品であるため、本文の読解は意外にカンタンです。「現代語訳」と「語釈」を参照しながら、ぜひ、本文の読解にもチャレンジしてみてください。

『雨月物語』の映画化作品

  • 日本映画(1953年)
  • 監督:溝口健二
  • 出演:京マチ子、森雅之、水戸光子、田中絹代、小沢栄

溝口健二監督のヴェネツィア国際映画祭銀獅子賞を受賞した傑作。『雨月物語』の「浅茅が宿」と「蛇性の婬」を脚色した作品です。京マチ子の官能的な演技が魅力に溢れていて、海外でも評価されています。

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