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『熊を放つ』ジョン・アーヴィング 村上春樹訳 暫定的な時代に暫定的な年齢を送っているということ

メガネグマ 外国文学

熊を放つ(原題:Setting Free the Bears )はアメリカ合衆国の小説家ジョン・アーヴィングの長編小説。本記事では、『熊を放つ』のあらすじと感想を掲載している。

あらすじ

『熊を放つ』は第一章「ジギー」第二章「ノートブック」、および第三章「動物たちを放つ」の三部構成である。第一章「ジギー」ではジギーとグラフの旅行、第二章「ノートブック」ではジギーの動物園偵察と自伝が交互に語られ、第三章「動物たちを放つ」ではグラフの動物園襲撃が描かれている。

第一章「ジギー」

ウィーンの市庁舎ラートハウス公園で出会った二人の学生ジークフリート・ヤヴォトニク(ジギー)ハネス・グラフは「ファーバーの店」で購入した中古のロイヤル・エンフィールド七〇〇ccを駆り、オーストリアの田舎を旅行することにした。ヒーツィング動物園を見物してから、偶然出会った少女たちカルロッタとワンガと戯れ、再度出発した。

クルムヌスバウムという町を通り抜け、ブリンデンマルクトを出たところでイブズ河にぶつかる。ジギーとグラフは鱒釣りをしてから途中の村に立ち寄り、ギッペルとフライナの夫婦に食料交換の取引を申し出る。ところがギッペルは猟場管理人であり、十二匹の鱒を釣ったジギーとグラフに五〇シリングの罰金通告をする。ジギーは素直に五〇シリングを支払ったが、実はフライナさんの台所用品をこっそりと盗んでいた。

ウルマフェルトの村を抜け、河川敷で野宿しながらイブズ河に沿って進み、ヒースバッハに到着する。フラウ・エルトルの旅館ガストホフではジギーは柵の中の山羊たちを逃した。

ザンクトレオンハルトの旅館では訴訟魔の男の股間をヘルメットで打ちのめした。

聖レオンハルトを出発して果樹園に到着する。ヴァイトホ―フェンで叔母が経営している旅館に向かっているガレンに出会う。ジギーとグラフはガレンをオートバイに乗せ、ヴァイトホ―フェンに向かう。途中、グラフの足が排気パイプに触れ火傷を負う。ヴァイトホ―フェンに到着してから、ガレンの叔母フラウ・トラットの滝城亭ガストホフ・シユロス・ヴアサーフアルで治療を受ける。グラフはガレンと恋に落ちる。

ジギーは馬に暴力を振るっていた牛乳配達人の御者ヨゼフ・ケラーの喉を締め上げ、首に噛みつき、レンギョウの茂みのなかを追いかけ回した。

滝城亭に警察がやってきた。ジギーはグラフに手紙を残してオートバイで脱出する。グラフを人質にしてジギーを逮捕するために、グラフは果樹園の養蜂の仕事をさせられる。

変装したジギーが旅館に帰ってきた。ところがグラフが果樹園の仕事を手伝いながらガレンといちゃいちゃしているため、ジギーは怒り、グラフを置き去りにしたまま再度脱出した。警察が非常線を張っていることを伝えるために、グラフはケフのもとから逃げ出し、ジギーと合流することに成功した。相変わらずジギーは怒っていたが、グラフは背中にとびつき、オートバイに乗る。二人は果樹園のトラクター運転手ケフのトラクターに衝突し、ジギーは亡くなる。

第二章「ノートブック」

動物園偵察

ジギーはカフェでウェイターと話してから動物園に侵入する。大型猫科動物の食事を見物してから生け垣と金網の間に潜み、閉園時間を待つことにした。夜警の交代は十二時に行われ、動物たちの様子が変化する。遅番の夜警O・シュルットは懐中電灯の光で動物たちの平穏を乱していたのだ。さらに小型哺乳類館の赤外線灯をつけ、動物たちの睡眠を乱していた。O・シュルットは動物たちをひったたき、一匹一匹と交尾してまわり、動物たちに苦悶の叫びをあげさせているのではないか、とジギーはパラノイアックな推測をする。不眠症の象、興奮したジェラダヒヒ、不治の病に罹ったビンツロング、瀕死のオニネズミ、出産を控えたオセロット……様々な動物たちと出会い、動物園偵察は終了する。

早朝にジギーは動物園からこっそりと脱出して、カフェで休憩をする。そして、ヒューゲル・フルトヴェングラーの理容院で頭の毛を全部シェーブしてもらった。

ジークフリート・ヤヴォトニクの自伝

一九三八年三月、ジークフリート・ヤヴォトニクの母親ヒルケ・マーはボーイフレンドのツァーン・グランツを残して、祖父母とオーストリアの鷲男エルンスト・ヴァツェク・トルマ―と共にウィーンを脱出して、カプルンの祖父の弟の家に向けて出発した。

ジークフリート・ヤヴォトニクの父親でありユーゴスラヴィア人のヴラトノ・ヤヴォトニクは、ザグレブ大学で言語学を学んだ。一九四一年三月、彼はザグレブからエセニエに向かう。

一九四一年の秋、ヴラトノ・ヤヴォトニクはスロヴェニグラデクにいた。ファシストであるアンテ・パヴェリッチに率いられているテロリスト集団ウスタシの活動に参入していたスリヴニカ一家は、ある計画を遂行するために言語学者を探していた。ヴラトノはユーゴスラヴィアに駐留しているオートバイ部隊バルカン4の偵察隊長ゴットロープ・ヴットの過去を探るために、スリヴニカ一家からオートバイの知識を叩き込まれ、ヴットに接近する。

一九四一年十月二六日、ヴラトノはオートバイ部隊バルカン4の車庫を訪れ、ゴットロープ・ヴットと友達になる。ヴットは軍事用に偽装した一九三九年型グランプリ・モデルのレース・バイクを隠していた。以後、ヴラトノはヴットからオートバイの技術を指導してもらうことになる。

一九四二年の春、スリヴニカ一家はヴラトノにゴットロープ・ヴットの抹殺を命じる。八月、抹殺計画遂行の当日、ヴラトノは抹殺の命令を受けていることをヴットに告げた。ヴットはスリヴニカ一家が乗っていた自動車を手榴弾で爆破した。ヴラトノとヴットは二人で旅に出ることにした。

ヴラトノとゴットロープ・ヴットは北スロヴェニアの山中で二年を過ごした。ログラではボルスファ・デュルドという農夫が六〇〇ccのサイドカー・モデルに乗せてもらうかわりに二人の面倒をみてくれた。しかし、一九四四年八月、ウスタシの倉庫から燃料と食料をかすめていたデュルドはウスタシに殺され、二人は移動することにした。

一九四四年九月三日、二人はクロアティア人の百姓部隊に遭遇する。

一九四四十月、二人はスロヴェニア山中のマリボルの西あたりに潜んでいた。十一月、六〇〇ccサイドカー・モデルについた軍用無線機からオートバイ部隊バルカン4の会話を受信する。元部下のヴァルナ―がバルカン4の隊長になっていることにヴットは腹を立て、無線でヴァルナ―を罵倒する。ヴットの声を聞いたヴァルナ―はヴットが近くにいることを確信するが、幸運なことにバルカン4の隊員たちはヴァルナ―の言葉を信用しなかった。

夜が明けてから、ヴットとヴラトノはリンブスの町の上方まで進み、オートバイと装備を隠し、無線機を外して担ぎ、マリボル街道の近くに移動してキャンプを張った。無線機からバルカン4の隊員たちの会話が聞こえる。ヴァルナ―は失脚し、今度はハイネ・ゴルツが隊長になっていた。

ヴットとヴラトノは別の部隊に紛れ込み、マリボルの町に侵入することに成功する。しかし、夜の酒場の便所でバルカン4の隊員たちと遭遇する。裏切り者ゴットロープ・ヴットは殺されたが、ヴラトノは無関係を装い、酒場から逃げ出すことができた。

ヴラトノはセルビア人地下組織の手製の名前と写真入り通行許可証を入手した。一九四四年十二月、ヴラトノはドイツ軍司令官の特使ジークフリート・シュミットとして軍事用の偽装を取り払った一九三九年型レーシング・バイクに乗って、国境を越えて、オーストリアに入る。ヴラトノは当時ソヴィエト軍が占拠していたウィーンに向かい、地下に潜行する。

一方、ヒルケたちがいたカプルンはアメリカ軍が占領していた。一九四五年の初夏、ヒルケはツァーン・グランツを心配して、ウィーンに帰還することを望んでいた。一九四五年七月に家族はウィーンに帰還する。ウィーンでは連合軍が占領管区を分割していた。アメリカ軍とイギリス軍は最高級の住宅地を取り、フランス軍は商業地域を選び、ソヴィエト軍は労働者住宅や工場の密集する地域を本拠地とした。シュヴィント通りのある第四区はソヴィエト軍が占領していた。家族がアパートに帰ったところ、衰弱したヴラトノ・ヤヴォトニクが部屋にいた。

一九四五年八月二日、ヒルケはヴラトノ・ヤヴォトニクの子供を妊娠する。ヒルケとヴラトノは結婚する。祖父はヴラトノのために正規の亡命者としての証明書を入手し、連合国評議会の通訳兼助手の仕事を用意した。一九四六年三月二五日、ヒルケは子供を出産する。そして、同じ日に祖母マータがソヴィエト兵に殺される。

一九五三年の三月五日、ヴラトノはトドール・スリヴニカに再会し、殺される。二十日後に家族はカプルンに向かう。

一九五六年十月二五日の<旗の日フラッグ・デイ>に祖父が鷲の衣装を身にまとったために、ヒルケは動揺して同日の夜に失踪する。

一九五六年十一月、ザルツブルグ山系に最初の降雪があった。祖父は鷲衣装を着用し、自殺コースと呼ばれていた「カタパルト・トレイル」という難所を郵便橇で走り、丸太に衝突してコースから弾き飛ばされ、亡くなる。

以後、ジギーはエルンスト・ヴァツェク・トルマ―に教育を施され、成長した。

第三章「動物たちを放つ」

ジギーの棺はヴァイトホ―フェンからカプルンに運ばれた。グラフが治療を受けている間にガレンはケフからオートバイの運転を教えられていた。一九六七年六月十日、グラフはガレンと一緒にヴァイトホ―フェンを脱出する。

一九六七年六月十二日、ヒーツィングのはずれにあるヒュッテルドルフ=ハッキングの近くのオレスティックの高級理髪店でガレンは金を工面するために、髪の毛を売る。そして、グラフとガレンはヒーツィング動物園襲撃を決行する。その後、グラフはカプルンに、ガレンはウィーンに向かう。いつかの水曜日にカーレンベルクで再会することを約束して、二人は別れる。

暫定的な時代に暫定的な年齢を送っているということ

『熊を放つ』は未完成の青春の物語だ。

例えば、第二章「ノートブック」の「最初の動物園偵察」からジギーの言葉を引用することができる。

つまり僕らはふりかえるべき歴史も持たなければ、近い未来を見とおすこともできない。僕らは暫定的な時代に暫定的な年齢を送っている、ということだ。前後に巨大な決断があって、僕らはそのまんなかにすっぽりと埋まっちまっている。そんな時のたまりのようなものがいつまでつづくのか、それはわからない。要するに、僕は「前史」しか持ちあわせていないのだ。

『熊を放つ』上巻、ジョン・アーヴィング、村上春樹訳(中公文庫)

だから、「ジークフリート・ヤヴォトニクの自伝」は祖父母に始まり、ジークフリート・ヤヴォトニクの誕生に終わる。そして、ジギーが指摘しているとおり「今日のように科学が進むと、大きな決断をするのに大衆の支持は要らないようになっている」ため、かれらの旅行は、未完成の青春を同じように強いられたぼくたちの心をしっかりと捉えることができる。

『熊を放つ』にはいろいろな移動手段が登場する。ゴットロープ・ヴットが所有していた一九三九年型グランプリ・レーサー、「ファーバーの店」で購入した中古のロイヤル・エンフィールド、それから、ジギーの精神的な父親ツァーン・グランツはタクシー運転手を職業にした。いろいろな登場人物がいろいろな手段でオーストリアを中心に移動する。

そして、第一章「ジギー」と第二章「ノートブック」では移動の原理が根本的に異なっている。マータ家は戦争のために移動することを余儀なくされ、ゴットロープ・ヴットとヴラトノ・ヤヴォトニクはドイツ軍とウスタシを敵に回し、逃避行に出発した。いずれにせよ、人間が戦争に翻弄されている。

じゃあ、戦後世代のジギーとグラフがオーストリアの田舎を旅行した必然性とはいったいなんだろう。

 ねえ、ジギー、いったいどうなんだろうね。君を捉えたのが世界という名の強風だとは思えないよ。君の自伝や君の計画に含まれている多くの収まりのわるい部分同様、君のその照合のロジックは――それはただほのめかされているだけだったり、飛躍していたりして、明確ではなかったりするので――僕にはどうも納得できないのだ。
 君を捉えたのは世界という名の強風なんかじゃないんだ、ジグ。君は自分でそよ風を起こし、それに吹き飛ばされたのさ。

『熊を放つ』下巻、ジョン・アーヴィング、村上春樹訳(中公文庫)

僕の見解は異なる。グラフくんは「混乱していて未熟」だからまだわかっていないけれども、強風は確かに吹いていたのだ。その強風を「世界」と呼ぶことができるのかわからないけれども。ぼくたちの生きている世界には「そよ風」と呼ぶことがためらわれるほどには凶悪な風が吹いている。ぼくたちは強風に煽られないために、オートバイをひたすらに走らせることしかできない。たとえ、運悪くトラクターに衝突することになったとしても。

『熊を放つ』のおもしろいところはジャック・ケルアックの『路上』のように純粋な移動の物語ではないところだ(アメリカ合衆国の小説家がオーストリアを舞台にした理由を考えたい)。物事を駄目にしない方法を心得ていたジギーは「計画を立てないことだよ、グラフ君。何も予定しない。いつどこに行くとか、いつ戻ってくるとかね」といっておきながら、動物園襲撃の緻密な計画を練っていた。読者は、一本取られた、という感覚。

おそらく、成熟した狂気の青年ジークフリート・ヤヴォトニクは純粋な移動の原理が自分に当てはまらないことを看破していた。彼の使命は動物たちを解放することだ。人間に立ち向かうことだ。

しかし、世界は立ちはだかっている。たったひとりの人間が立ち向かったところでかなうわけがない。鱒釣りをしたら五〇シリングを奪われる。ぼくたちにできるささやかな抵抗は台所用品を盗んでいくことくらい。人間に飼いならされた山羊たちは暴走することができない。酔っぱらいに殺された馬の仇討ちをしたら警察に追われる羽目になる。ぼくたちの世界ではやさしい人間は生きていくことができないのだ。

偉大なるジークフリート・ヤヴォトニクのように世界に立ち向かう勇気はぼくにはない。でも、もしも彼のような男に今後の人生で出会うことがあったら、絶対に死なせたくない。ジークフリート・ヤヴォトニクが平穏に生きていくことができる世界であってほしい。『熊を放つ』を読み終わり、心から願った。

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