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『タイタス・アンドロニカス』シェイクスピア【あらすじ】【レビュー】

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シェイクスピア外国文学

『タイタス・アンドロニカス』はシェイクスピアの戯曲の中では、暴力性・残忍性という点で異質な作品である。あまりにも残酷な場面が多いために批評家から受け入れられず、否定的な意見が多い。

主な登場人物

  • サターナイナス
    故ローマ皇帝の息子、のちに皇帝
  • バシエーナス
    サターナイナスの弟
  • タイタス・アンドロニカス
    ローマの貴族、ゴート族征討の将軍
  • マーカス・アンドロニカス
    護民官、タイタスの弟
  • リューシアス
    タイタス・アンドロニカスの息子
  • 小リューシアス
    少年、リューリアスの息子
  • ラヴィニア
    タイタス・アンドロニカスの娘
  • タモーラ
    ゴート族の女王
  • アーロン
    ムーア人、タモーラの愛人
  • ディミートリアス
    タモーラの息子
  • カイロン
    タモーラの息子

あらすじ

  • 第一幕第一場 ローマ、神殿の前
    サターナイナスとバシエーナスの兄弟が皇帝の位を争っている。タイタス・アンドロニカスがゴート族征伐から凱旋する。皇帝位を継承したサターナイナスは皇后としてラヴィニアを迎えることを提案する。しかし、バシエーナス、マーカス・アンドロニカス、タイタスの息子たちが、ラヴィニアを強奪する。タイタスは息子ミューシャスを殺す。最終的に、バシエーナスとラヴィニアが結婚し、サターナイナスはラヴィニアを諦めて、ゴート族の女王タモーラを皇后に迎える。
  • 第二幕第一場 宮殿の前
    アーロンの独白。ディミートリアスとカイロンがラヴィニアを巡って、喧嘩をしている。アーロンは二人を唆して、翌日の狩りでラヴィニアを二人で強姦することを提案する。
  • 第二場 ローマ近郊の森
    一同、狩りに出かける。
  • 第三場 森の寂しい場所
    アーロン、計略を巡らす。ディミートリアスとカイロンがバシエーナスを殺して、ラヴィニアを拉致する。アーロンはマーシャスとクィンタスを罠にはめて、バシエーナス殺害の濡れ衣を着せる。
  • 第四場 森の他の場所
    ラヴィニア、両手を切り落とされ、舌を切り取られ、暴行を受けた姿。マーカスが発見する。
  • 第三幕 第一場 ローマの街路
    タイタス、護民官、元老院議員に息子たちの死刑を取り下げるように、嘆願する。しかし、聞き入れられない。タイタスが片手を切り落として陛下に献上したら、息子たちは特赦で死刑を免れることができるというアーロンの嘘を信じて、タイタスは片手を切り落とす。使者から、息子たちの首が届く。
  • 第二場 タイタスの邸、会食の場
    タイタスたち、嘆く。マーカスが殺した黒く醜い蝿を、タイタスはアーロンに擬えて殺す。
  • 第四幕 第一場 タイタスの邸の庭
    ラヴィニアは庭の砂に杖で強姦犯の名前を書き、タイタスたちに伝える。タイタスと小リューアシアスは宮殿に乗り込むことにする。
  • 第二場 宮殿の一室
    小リューシアスは、ディミートリアスとカイロンに武器を贈る。乳母が赤ん坊(タモーラとアーロンの子供)をアーロンに届ける。アーロンは子供の存在を隠すために、乳母を殺す。ディミートリアスとカイロンは乳母の死体を処分するために退場する。アーロンは子供を肌の色が白い別の子供とすり替えることにする。
  • 第三場 宮殿の前
    タイタスたちは神々に宛てた手紙を矢に結び、宮殿に放つ。請願書を道化に託す。
  • 第四場 宮殿の前
    道化は皇帝に手紙を渡し、皇帝は激怒する。リューシアスがゴート軍を率いてローマに進撃する。
  • 第五幕 第一場 ローマに近い平原
    アーロンと赤ん坊、捕らえられる。アーロン、赤ん坊の命と引き換えに、陰謀の内容をリューシアスに白状する。ローマから使者が訪れ、リューシアスは会談に応じる。
  • 第二場 タイタスの邸の前
    タモーラとディミートリアス、カイロンは復讐神に変装して、タイタスの邸を訪問する。タイタスは気違いの振りをして、油断させ、ディミートリアスとカイロンを殺す。
  • 第三場 タイタスの邸の中庭
    皇帝と皇后、饗宴に応じる。ディミートリアスとカイロンを調理したパイを食卓に出す。タイタス、ラヴィニアを殺し、皇后を殺す。皇帝、タイタスを殺す。リューシアス、サターナイナスを殺す。リューシアスが皇帝になる。アーロンは生き埋めの刑になる。しかし、アーロンは反省をしない。

暴力の性質

「ブラッド・スポーツ」という言葉をご存知だろうか。動物に暴力を加えたり、あるいは動物同士の戦いを楽しむ娯楽のことだ。例えば、エリザベス朝のイギリスでは、いわゆる「熊いじめ」が娯楽として人気があり、残念ながら、人間が暴力をエンターテインメントとして受容するという事実は否定できない。

注目したいことは、暴力の性質である。『タイタス・アンドロニカス』の暴力は、現代社会の暴力とは異なっている。現代社会の暴力には、自覚がない。自己欺瞞と自己陶酔。生の感覚の欠如。挙句の果て、幼稚な哲学。いずれにせよ、我々が直面している暴力はアーロンとは別物である。確かに、何かが欠けている。

だから、現代の演出家が『タイタス・アンドロニカス』を扱うなら、アーロンに細心の注意を払わなければならないだろう。現代社会の暴力と『タイタス・アンドロニカス』の暴力を混同して、安易に描写するなら、絶対に失敗する。思春期の少年が悪を崇拝するという恥ずかしい道をたどらないために、我々は暴力の受容について、考えていかなければならない。

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