『悪魔物語』はミハイル・ブルガーコフが1925年に発表した中編短編集(『悪魔物語』『運命の卵』『13番地エリピット労働コミューン・ビル』『ある中国人の物語』『チチコフの遍歴』を収録)。
『悪魔物語・運命の卵』水野忠夫訳(岩波文庫、2003年)は『悪魔物語』『運命の卵』のみを収録しています。
本記事では、『悪魔物語』『運命の卵』のあらすじを紹介しています。
『悪魔物語』あらすじ
第一章 二十日の出来事
コロトコフはマッチ工場の書記として働いている。1921年9月20日、マッチ工場の経理係は給料の支給が止まったことを告げる。
第二章 現物支給
三日後、コロトコフは現物支給としてマッチを受け取る。コロトコフは、ワイン貯蔵所に勤めている隣の部屋の女性、アレクサンドラ・フョードロブナにマッチを売ることにした。しかし、アレクサンドラも現物支給として赤ワインを受け取っていた。
コロトコフは品質を確認するためにマッチを擦ってみた。火花が飛び散り、コロトコフの左目に命中する。コロトコフは包帯を左目に当て、左側の頭半分に巻き付けた。
第三章 禿頭の出現
翌朝、コロトコフは包帯を巻いたまま、遅刻して出勤する。工場長チェクーシンは首になり、小柄で、肩幅が広く、禿頭の男カリソネルが新工場長に就任していた。
第四章 第一節 コロトコフを解雇する
翌朝、マッチ工場にコロトコフの解雇通知が張り出されていた。コロトコフは新工場長「カリソネル」の姓を「カリソヌイ(スボン下)」と読み間違え、書類を誤って作成していた。
コロトコフは釈明のために工場長室に向かったが、カリソネルは耳を貸さない。
第五章 悪魔の策略
コロトコフはカリソネルを追いかけて、供給本部に向かう。エレベーターにカリソネルの姿を認めて、コロトコフは叫ぶ。しかし、そのカリソネルは長い顎ひげを伸ばしていた。コロトコフは不思議に思う。
急いで、階段を駆け降りて、一階に到着したコロトコフはガラスの向こうにカリソネルを発見したが、そのカリソネルの顔には顎ひげが見当たらなかった。
コロトコフは名簿係の老人に「コロブコフ」と名前を間違えられる。老人はコロブコフといっしょにカリソネルが更迭され、チェクーシンが工場長になったと告げる。老人に身分証明書の提示を求められ、コロトコフは身分証明書を紛失したことに気がつく。
第六章 最初の夜
隣人のアレクサンドラはズヴェニーゴロドの母のところに帰り、ワインをコロトコフへの贈物として置いていった。
コロトコフは顎ひげを伸ばしたカリソネルと顎ひげを剃ったカリソネルのことを考えて、恐怖に襲われ、泣き出した。コロトコフはワインを飲み干してから、ベッドに倒れこんだ。
第七章 オルガンと猫
翌日、コロトコフは身分証明書の発行のために住宅管理委員会を訪れたが、住宅管理委員が死亡していたため、証明書類は発行できなかった。
コロトコフは工場に向かった。書記室では顎ひげを伸ばしたカリソネルが机に向かって仕事をしていた。コロトコフは「ふむ……いいですか、わたしがここの書記ですが……つまり……そう、もし指令を覚えておいででしたら……」と声をかけたところ、カリソネルは「ここの書記はわたくしですけど」という。
わけがわからないまま、廊下に出たところ、顎ひげを剃ったカリソネルに遭遇する。カリソネルは「人員整理をしたのだ」「あなたはわたしの補佐。カリソネルが書記というわけだ。旧職員は全員追放した」と言い、コロトコフの調査書の作成を命じる。
コロトコフは、自分がコロトコフであると主張するが、顎ひげを剃ったカリソネルは耳を貸さない。カリソネルは「本状の所持者は確かに私の補佐、ワシーリイ・パーヴロヴィチ・コロブコフであることを証明する。カリソネル」と記された用紙をコロトコフに渡して、出かけてしまった。
顎ひげを伸ばしたカリソネルは「カリソネルはもう出かけたのですか?」とコロトコフに尋ねる。
耐えられなくなってしまったコロトコフは、泣き出し、カリソネルにとびかかった。カリソネルは逃げ出した。
コロトコフはカリソネルの正体を確かめるために、追跡をする。九階建ての緑色の建物の階段の途中でコロトコフは顎ひげを伸ばしたカリソネルを発見する。カリソネルは恐怖にとらえられて、逃げ出した。コロトコフは「ああ、わかったとも。こういうことなのだ。猫どもだ! なにもかもわかったぞ。猫どもの仕業だ」とつぶやき、笑いだした。
第八章 第二の夜
コロトコフはマッチ工場を辞めることを決意する。
第九章 タイプライターの恐怖
コロトコフは市民相談室でタイプライターの女性にキスをせがまれる。老人はコロトコフをコロブコフと呼ぶ。書記は抽斗の中から登場する。コロトコフは泣き出して、机の角に頭を打ちつけはじめて、廊下に運び出される。
第十章 恐ろしいドゥイルキン
コロトコフは第五部局のドゥイルキンのところに向かう。コロトコフはドゥイルキンに促され、燭台でドゥイルキンの頭を打つ。壁に描かれたニュルンベルクの小屋からカッコウが跳び出して、「クー、クラックス、クラーン!」と叫ぶ。コロトコフは燭台を時計に打ちつけ、時計の中からカリソネルがとび出し、出生地証明書のついた白い雄鶏に変身する。ドゥイルキンは「あいつをつかまえろ、強盗だ!」と叫び、コロトコフは逃げ出した。
第十一章 追跡映画と深淵
コロトコフは十一階建ての建物の中に逃げ込んだ。最上階のビリヤード室に立てこもったが、包囲されてしまった。コロトコフは屋上から飛び降りた。そして、「なにかに爆破されてできたみたいな黒い穴のある灰色の物体が自分のそばを通り抜けて舞い上がるのを、おぼろげに、きわめておぼろげに見た。それから、灰色の物体が下に落ちてゆき、上方にあるかと思われる横町の狭い裂け目を目ざして自分自身が上昇してゆくのをはっきりと悟った。つづいて、まっかな太陽が頭のなかで音を立てて破裂し、もはやコロトコフには、いっさい、なにものも見えなくなった」。
『運命の卵』あらすじ
第一章 ペルシコフ教授の履歴
国立第四大学の動物学教授、モスクワ動物学研究所所長ウラジーミル・イパーチエヴィチ・ペルシコフは動物学の世界的権威であり、特に、両生類、爬虫類を専門領域にしていた。
第二章 色彩つきの渦巻き
1928年4月16日の夜、ペルシコフ教授は顕微鏡でアメーバを観察していた際に「色彩つきの渦巻のなかに、とりわけ鮮明に、ひときわふとく浮き出た一筋の光線」を発見する。
第三章 ペルシコフの成功
赤色光線にはアメーバの生長を促進し、繁殖力を増進する効果があった。助教授のイワノフが協力し、レンズと鏡を利用して、赤色光線を顕微鏡の内部で得るための暗室を作成することにした。教育人民委員部から注文した品物が届き、ペルシコフ教授は幅約4センチメートルの強力な赤色光線をとらえることに成功した。
次に、ペルシコフ教授は雨蛙の卵を用いて、赤色光線の実験に没頭する。二日間で数千匹のおたまじゃくしが卵から孵り、一日の間に雨蛙に生長した。生長した雨蛙は獰猛で、排卵期を無視して卵を産み始めるという異常な繁殖力を持っていた。
第四章 長司祭の妻であったドロズドワ
長司祭のサヴワーチイ・ドロズドワの未亡人の養鶏場では、鶏が次々に死んでいった。
モスクワではペルシコフの研究が話題になっていた。ジャーナリストたちがペルシコフ教授の研究所に取材に訪れ、電話は鳴り続け、ペルシコフ教授は研究に集中できない。
第五章 鶏事件の顛末
新聞記者アリフレッド・ブロンスキイは鶏について、ペルシコフ教授に質問する。ペルシコフ教授は、鶏ペストが発生していたことを聞かされる。
第六章 一九二八年六月のモスクワ
鶏ペストが発生したため、鶏肉および鶏卵の食用が禁止される。
第七章 運命
ペルシコフ教授は鶏ペストの対策に追われていた。次第に、鶏ペストの騒動は収まり、ペルシコフ教授は赤色光線の研究を再開することができた。
八月のある日、模範ソフホーズ《赤色光線》の所長アレクサンドル・セミョーノヴィチ・ロックが研究所を訪れて、赤色光線の鶏卵の実験許可を求める。共和国の鶏卵を繁殖させるために、ロックは赤色光線を利用することを計画していた。
ペルシコフ教授は指令に従い、鶏卵の実験許可を与えて、暗室を貸し出した。
第八章 ソフホーズでの事件
ソフホーズでは、ロックが赤色光線の鶏卵の実験準備を進めていた。
やがて、卵から、こつ、こつ、と音が聞こえてきた。翌朝、卵は割れていたが雛が見つからない。窓は閉まっていて、屋根から飛び出すわけはない。ロックは穴が空いている屋根を見上げた。
夕方、ロックは池のほとりから物音を聞いた。大蛇が茂みの中から現れて、ロックの妻を締め殺す。ロックは恐怖に震えて、逃げ出した。
第九章 生き物たちの大集団
ロックはドゥギノ駅に駐在する国家政治保安部に救援を求めた。国家政治保安部部員シチューキンとポライチスは、錯乱状態に陥ったロックをモスクワに送って、ソフホーズに向かう。ソフホーズでは、大蛇の大群が跋扈し、人間の死体が転がっていた。引き返そうとしたところ、大蛇に捕まって、シチューキンとポライチスは殺される。
第十章 大惨事
ソフホーズの惨事が伝えられ、モスクワはパニックに陥る。
ペルシコフ教授のところには、注文していた蛇と駝鳥の卵ではなく鶏卵が届いた。畜産部は誤って、鶏卵をペルシコフ教授に送り、蛇と駝鳥の卵をソフホーズに送っていたのだ。
第十一章 戦いと死
群衆が研究所に押し寄せて、ペルシコフ教授を撲殺する。
第十二章 危機を救った酷寒の神
1928年8月19日から20日にかけて、空前の寒波が襲来して、大蛇の大群を滅ぼしてしまった。
1929年、動物学研究所の跡には動物学宮殿が建てられ、イワノフ助教授が所長になっていた。イワノフは赤色光線の復元を何度も試みたが、二度と発見することはできなかった。
ブルガーコフとソビエト連邦
ミハイル・ブルガーコフの作品の中では奇妙な出来事が起こる。『巨匠とマルガリータ』では悪魔たちがモスクワの街を混乱に陥れ、『犬の心臓』では人間の脳下垂体と精嚢を移植した犬人間が登場する。
『悪魔物語』では工場長が分裂する。マッチ工場の事務員コロトコフの意識は次第に分裂して、彼は屋上から飛び降りることになる。『運命の卵』では赤色光線を浴びて異常に生長した怪物たちがモスクワに進行する。
「ブルガーコフの不条理の正体は何か?」と批評家たちは考える。ブルガーコフの作品はソビエト連邦政府に体制批判と見なされ発禁処分になったことから、やはり、当時の社会的背景を前提に語られることになる。
批評家たちは社会主義の矛盾を指摘する。なぜ、ソビエト連邦は社会を維持できなくなり、崩壊することになったのか。そして、「ブルガーコフは社会主義の矛盾を察知していた」「ブルガーコフはソビエト連邦の不条理から誕生した作家だ」と結論する。
もちろん、間違っているわけではない。ただ、いささか、思考の出発点が資本主義的イデオロギーに流されているのではないだろうか。社会主義国家で独裁政治が猛威を振るったように、資本主義国家では貨幣が人間を支配した。資本主義の不条理は社会主義の不条理に決して劣るものではない。
ところが、ソビエト連邦時代の作家を解釈するときには、批評家たちは社会的背景に夢中になる。資本主義の鏡として社会主義を無意識に利用する。不条理はソビエト連邦の現実を抽象化したものとして扱い、作品は風刺文学の枠の中にきれいにおさめることになる。
だから、ブルガーコフを読解するときには注意したほうがいいかもしれない。社会的背景にウェイトを置きながら、しかし、多角的な視点から検討する必要がある。演劇的要素、作品の構造、視点の設定、ブルガーコフの作品は単純な社会風刺に留まるものではないのだ。
ソビエト連邦の歴史を概観するなら『ソ連の歴史―ロシア革命からポスト・ソ連まで』木村英亮著(山川出版社、1996年)を推薦する。
ブルガーコフの日本語訳作品一覧は『ミハイル・ブルガーコフの日本語訳作品一覧』をお読みください。