おのもんぜき【小野門跡】
広辞苑第七版「小野門跡」p.435
随心院の異称。
第16回の語は「おのもんぜき【小野門跡】」。
とりあえず、「随心院」を広辞苑で引いてみよう。
ずいしんいん【随心院】
広辞苑第七版「随心院」p.1538
京都市山科区小野にある真言宗善通寺派の大本山。九九一年(正暦二)仁海の開創した曼荼羅寺に始まり、真言宗小野流が生まれたという。一二二九年(寛喜一)門跡となる。小野門跡。
なるほど。要するに、京都の寺である。「門跡」がわからないため、また広辞苑で引いてみよう。
もんぜき【門跡】
広辞苑第七版「門跡」p.2932
(一門の法跡の意)
①祖師の法統を継承し、一門を統領する寺。また、その僧。
②皇子・貴族などの住する特定の寺の称。また、その寺の住職。宇多天皇が出家して仁和寺に入ったのに始まり、室町時代に寺格を表す語となり、江戸幕府は宮門跡・摂家門跡・准門跡などに区分して制度化。
③本願寺の管長の俗称。
随心院は、1229年に後堀河天皇の宣旨により門跡となっているため、②の意味に該当することはもちろんだが、真言宗善通寺派の大本山であるため①にも該当するだろう。
さて、随心院こと小野門跡は、絶世の美女の代名詞「小野小町」ゆかりの地でもあるらしい。境内には小野小町が化粧をしていたという「化粧井戸」や、受け取ったラブレターを埋めたという「小町文塚」など、彼女の伝説を伝える遺構が数多く残されている。「百夜通い」のエピソードは特に有名で、通い詰めた深草少将が九十九夜目に力尽きたという話だ。
近年は、大正時代に途絶えた「はねず踊り」の再興や、アーティストとコラボして小野小町をテーマにした美術作品を取り入れるなど、先進的な取り組みも行っているらしい。京都旅行の際は、訪れてみてはいかがだろうか。