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【連載第10回】今日の広辞苑「ほとけ【仏】」

今日の広辞苑10 エッセイ
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ほとけ【仏】
(ブツ(仏)の転「ほと」に「け」を付した形、また、「浮屠(ふと)家」「熱気(ほとおりけ)」「缶(ほとぎ)」など、語源に諸説がある)
①〔仏〕㋐悟りを得た者。仏陀(ぶつだ)。仏足石歌「釈迦の御跡いはに写しおき敬ひて後のーに譲りまつらむ」
㋑釈迦牟尼仏(しやかむにぶつ)
②仏像。また、仏の名号。欽明紀「丈六のーを造り奉る」。源夕顔「七日七日にーかゝせても、たがためとか心のうちにも思はん」
③仏法(ぶつぽう)源御法「女の御おきてにてはいたり深く、ーの道にさへ通ひ給ひける」
④死者またはその霊。浄、薩摩歌「こな様の孝行はーへの奉公」
⑤仏事を営むこと。栄華本雫「ーにいとよき日なり」
⑥ほとけのように慈悲心の厚い人。転じて、お人よし。柳樽初「町内のーとらへて猿田彦」
⑦大切に思う人。→あがほとけ。

第10回の語は「ほとけ【仏】」

ランダムに指定した2711ページ1段は、「ホドグラフ」「ホトクロミズム」「仏」の3語のみ。「ホドグラフ」と「ホトクロミズム」も聞き慣れない学術用語で興味深いが、今回は「仏」をテーマに選ぶことにした。

さて、広辞苑の「仏」の項には、たくさんの慣用句がずらりとならんでいる。それぞれの語義に触れている余裕はないが、ざっと眺めてもらいたい。

「仏石」「仏弄り」「仏降ろし」「仏顔」「仏書き」「仏気」「仏口」「仏心」「仏性」「仏倒し」「仏作り」「仏嬲り」「仏の鏡」「仏の御器」「仏の座」「仏の正月」「仏の年越し」「仏参り」「仏守り」「仏作って魂入れず」「仏の顔も三度」「仏の光より金の光」「仏の目を抜く」「仏も昔は凡夫なり」

「仏」の字でゲシュタルト崩壊を起こしそうになるが、それはさておき、あなたは「仏」からどういうイメージを感じるだろうか?

「仏」という語のふるまいは不思議だ。絶対的な徳の象徴である一方、冗談の対象にもなり、批判の対象にもなり、時に俗世の皮肉や不満すら吸収してしまう。おそらく「仏」ほど、尊敬と諧謔の両極を自由自在に往復する言葉は他にないのではないか。

たとえば「仏の顔も三度」という表現。「いかに温和で慈悲ぶかい人でも、たびたび無法を加えられれば、しまいには怒り出す」という意味だが、考えてみればおかしな話である。仏は、そんなに短気なのだろうか? いや、むしろ「三度までは我慢してやる!」というあたりに、人間くささがにじんでいて、どこか親しみすら感じる。

あるいは、「仏の御器(ほとけのごき)」。実は、これ、くだらないダジャレである。仏に供える「金椀(かなわん)」に「叶わん」をかけて「かなわない」を意味するダジャレ。「そいつはかなわん! 仏の御器だ!」とかいったりしても、今では誰にも伝わらないだろうが。

はたまた「仏の光より金の光」。身も蓋もない。実際、これはそのとおりかもしれないが、人間の正直な価値判断が、そのままことわざになっているのだからしかたない。しかし「仏も昔は凡夫なり」は仏も苦笑しているのではないだろうか。昔のこととはいえ、「凡夫」呼ばわりされてはたまらない。

「仏」と「神」の違いはおもしろい。仏は崇高な存在でありながら、わたしたちの日常生活や感情に寄り添い、願望、そしてちょっとした悪意までをも許容するユニークな「キャラクター」なのかもしれない。そう思うと、仏とのつきあいは、神よりもずっと気楽でありがたいものに思えてくる。

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